九谷焼歴史

■九谷焼くたにやきとは

九谷焼は大きく二つに分けられます。まずひとつは現在「古九谷」と呼ばれるものです。その歴史は江戸前期(17世紀中頃)に遡ります。有田の磁器焼造技術を導入して加賀前田藩の支藩であった大聖寺藩の江沼郡西谷村九谷に窯が築かれました。力強く大胆な絵画的絵付けと渋い色調が魅力のやきもので、この地の名を取って「九谷焼」となりました。しかし、50年足らずで謎の廃窯をしてしまいます。

もうひとつは古九谷廃窯後、江戸末期に再興された新しい九谷焼です。金沢の春日山の開窯をきっかけに、若杉窯、吉田屋窯、宮本屋窯、小野窯、松山窯が開かれ、この再興九谷と呼ばれる流れは現代まで脈々と続いています。再興された九谷焼では古九谷風のもの以外にも赤絵金彩や金襴手など様々な作風が生まれましたが、共通する九谷焼の特徴かつ最大の魅力は上絵付けによる色絵装飾にあるといえるでしょう。

上絵付けとは、本焼きした陶磁器の釉薬の上に、上絵の具で模様を描き、再度低火度(750~850度)で焼く技法のことで、九谷焼や有田焼などに広くその技法が用いられています。中でも九谷焼の上絵付けの特徴は『赤、黄、緑、紫、紺青』の、五彩手(九谷五彩)という色彩と優美な絵模様です。